偉人

子供に伝記や偉人伝を読ませたいのですが、誰がいいでしょうか?

伝記や偉人伝をたくさん読ませてあげましょう

 本は、幼少期からたくさん読ませてあげたいですね。特に小学校の3年生ぐらいになったら伝記や偉人伝をたくさん読ませてあげましょう。偉大な先人がどう考え、どう生きたかを学ぶことは最高の徳育でもあり、英才教育でもあります。

十五歳で稚心を捨てた橋本左内(はしもとさない)の26年の生涯

 「うちの子、時間があればゲームばかりしています。大丈夫でしょうか」「うちの子は、最近部活も勉強もやる気が出ないようなんです。どんな言葉をかけたらいいでしょうか」こういう質問を頂いた時、私はわずか26歳で獄中斬首されて生涯を終えた、惜しみて余りある幕末の天才・橋本左内の話を親御さんにします。
 橋本左内は、福井藩の藩医の子として生まれました。幼い頃から学問を好み、俊秀の誉れも高かったのですが、その志の高さゆえに自分自身に対して大変厳しい少年でした。
 「自分は疎直で柔漫(おろそかで気の弱い怠け者)なので、いくら勉強しても進歩がないように思う。これではとても父母の恩に報い、主君のお役に立つ人間になれない。なんと情けないことか」と毎夜泣き暮らします。
 そして、数え年15歳の時、左内は『啓発録』を記します。大意は以下の通りです。「遊びたい、怠けたい、母に甘えたいというような幼稚な気持ちがあっては、何事も上達せず、世に知られる人物となることはできない。まず稚心を去るべし。昔の武士は、功績をあげれば名誉を歴史に記し、戦いに敗れれば自分の遺体を野原にさらすことになった。お金や地位、命の危険や困難などで自分の心を変えたりしない、剛毅屈強な気質があった。自分もかくありたい。志のない者は虫けらと同じだ。油断せず常に勉学し、良き友と交わり、必ずや古代の聖人君子、英雄豪傑の如くなろう」
 15歳の少年は、この世の楽しみも安穏な未来も捨て、人生を私(わたくし)する心を捨てました。そうして自分を叱咤激励し不断の努力精進を続けたのです。

国をも立て直すような真の医者を目指して

 16歳になった左内は大阪へ行き、優秀な人材が集まる「適塾」に入って緒方洪庵から蘭方医学を学びます。やがて左内は、夜な夜な適塾を抜け出してどこかへ出かけるようになりました。学友は「あいつはどこかへ遊びに行っているのだ」と思いましたが、本当は、天満橋の下へ行き、住む所もお金もなくて医者にかかれない病人を診ていたのです。もちろん人助けの気持ちもありましたが、同時に、自分が学んでいる蘭方医学が本当に人の役に立つ学問なのかどうかを確かめたい気持ちもありました。
 19歳で家督を継ぎ藩主の側近となった左内は、外国に負けない日本をつくるためにまず福井藩の教育制度の改革に乗り出しました。藩士たちに語学や造船、鉱山、化学、機械などを学ばせたのです。実に先見の明があるといえます。
 さらに左内は日本の国の未来を考えて、優れた人物である徳川慶喜を次の将軍とするために各地を飛び回り、朝廷や公家や名のある人物に働きかけました。左内の考えと対立する立場にあった幕府の重役・川路聖謨(かわじとしあきら)は、左内の新鮮で論理的な意見と、日本を思う無私無我なる熱い心に打たれて自らの考えを変えました。こうした左内の己を捨てた行動を怖れた幕府の井伊直弼(いいなおすけ)は、彼を処刑して命を奪いました。
 享年(天から与えられた命の年数)わずか26歳。しかし左内に何の悔いがあったでしょうか。子供たちに生涯を熱く生き切った橋本左内の生き様を学んでほしいと心から願います。左内が15歳で記した『啓発録』は大手出版社から出ています。ネットで探せば良質な伝記も見つかると思います。メジャーではありませんがぜひオススメです。