イヤイヤ期

イヤイヤ期の子供に手を焼いています。どうすればいいですか?

ママ悩まないで。2才児はみんな意味不明です(笑)

 イヤイヤ期の子供を「テリブル2(魔の2歳児)」と呼びます(笑)。昨日まで、大人しくて天使のように可愛かったわが子が、突然“怪獣”に変貌します。わざとお椀をひっくり返してニヤッと笑ったり、本を破いたり。「ごはん食べようね」「いやっ!」「じゃあ、やめる?」「いやっ!」「じゃあどうするの!」「いやっ!」ママには、訳がわかりません。しかし、これこそが自立への第一歩なのです。

イヤイヤ期は、子供の自立期

 子供が大人になるまでの間に「反抗期」と言われる時期が二度訪れます。一度目は2歳前後~3歳の第一次反抗期、二度目は思春期の第二次反抗期です。どちらも、成長の過程で子供の自我がはっきり芽生える時期であり、「私は私!」「ぼくはぼく!」「お父さんやお母さんとは違うの!」と強く意思表示したくなる時期です。反抗期というよりは「自立期」と言ったほうがいいでしょう。
 乳児期は、母子の一体感が非常に強く、子供の行動半径も、ごく狭い範囲に限られます。 ところが2歳近くになると、子供の運動能力や視力、感じる力、考える力はぐんぐん成長し、自分の興味あるものに走って行って、自分から手を伸ばすようになります。興味の範囲、行動の範囲がグッと広がる時期です。それ自体は喜ばしいことですね。しかし、ここで、当然のことながら、自分の意思とママの意思がぶつかります。

5語で自己主張する幼児期

 さらに大変なことに、この時期の子供は、自分の気持ちや考えを表現する言葉をほとんど持っていません。「いや!」「ダメ!」「ちがう!」「じぶんで!」「☆※△□#!」をくり返します。それを翻訳すると、こうなります。「ボクはママとは違う!ボクはボク! 勝手に決めないで! 自分で決めたい! やりたい!」こうした決定権の主張は、2才児の特徴であり、人生で初めての自己主張であり、自立への第一歩でもあるのです。「母子一体」は楽ですが、いつまでも「母子一体」ではいられないのです。イヤイヤ期はわが子の成長の証でもあるのです。

言葉でのコミュニケーションが必要になる時期

 子供が順調に自我を主張し始めたら、親は、わが子を自分とは違う一個の個性ある人間として認め、誠実な態度で向き合ってあげましょう。スキンシップはとても大切ですが、イヤイヤ期の子は、それだけでは満足できない時期にさしかかっています。たとえ拙い言葉でも、子供の声に耳を傾けてあげましょう。ママも緊張せず、一つ深呼吸してから「ママ、聞くよ。安心して言ってごらん」と言って、言葉と温かい眼差しで語りかけましょう。全部解らなくてもいいんです。ママが一生懸命に耳を傾けようとしてくれるだけでも子供は何かを感じます。
 とはいえ、イヤイヤ期の子供は、自分の意志が通じないとかんしゃくを起こしてママをバシバシ叩きます。可愛いわが子でも叩かれたら痛いし、心はもっと痛いでしょう。でもママ、安心してください。子供は誰かれ構わず叩いたりはしません。いちばん解って欲しい人、何をしても決して自分を見放さないだろう大好きな人=ママしか叩きません。切ないことですがそれが子供の深層心理の真実です。「あぁ、こんなにもママにわかって欲しいのね」と思い、パンチする両手をやさしく握り、目を見つめてにっこり笑ってあげてください。そしてこうお話ししてください。「大丈夫だよ。叩かなくても、お目めと言葉で伝わるよ。ママも新米だからキャッチボールがへたくそだけど、キミの言葉を聞きたいな」

時には叱り、教えるのも愛

 ただし、自我の欲求のままに行動する子供を、野放しにしていいわけではありません。行動半径が広がるこの時期、「これは、していいこと」「これは、してはいけないこと」というしつけを、親が言葉と態度で毅然と教えることも大切です。子供が2歳以上なら、しつけも大切です。幼児は、「これをやったらどうなるか」「相手はどう思うか」とあと先を考えて行動することはできません。大抵は「思った通りに行動したら不都合なことが起こっちゃった」というパターンです。だから、子供が間違った行動をした時は「それはしてはいけないことだったよ。なぜならね…」と教えてあげることも、大事な教育です。
 よその子の玩具を奪い取る。人に物をぶつける。かんしゃくを起こして相手を突き飛ばす。ママを叩く。玩具売場で「買って」と泣き叫ぶ……。分別のある大人が「やってはいけない」と思うことは、たとえ幼児であっても「やってはいけない」のです。それは、2~3歳ならもう理解できます。まず子供の動きを止め、目を合わせて、「やってはいけないよ。なぜなら……」と、真剣に、かつ簡潔に、堂々と教えてあげてください。しつけは、大人の思い通りになる都合のよい子に育てるためにするのではありません。自分の頭で考え、良い行動ができる自立した立派な人間に育てるために必要なのです。